おはようございます。まさきんです。
マーケティングの仕事をしていて、たびたび感じることがあります。押しの強い広告より、ブランド体験そのものに溶け込んだコミュニケーションのほうが、結果的に強い、ということです。
「広告」という枠で考えるのをやめる
Webサイトを作っただけでは、ブランドの価値は生まれません。生活者に深く伝わり、認知されて、はじめて価値になります。
このとき大事なのは、施策を「広告」という枠だけで考えないことだと思っています。接客、パッケージ、アプリの使い心地。生活者が実際に触れる体験すべてが、ブランドからの発信になっているからです。
顧客体験の最大化に成功している企業は、たいてい徹底した顧客視点で、デジタルを「手段」として使いこなしています。デジタルそのものが目的化していない、というのが共通点だと感じます。
そういえば、この紹介リンクも似た理屈かもしれません。派手な広告ではなく、知人の紹介というだけの話だからです。
「広告らしくない広告」が力を持った実例
この逆説を象徴する事例として、よく紹介されるのが、良品計画の対応です。2013年、ある環境保護団体が「フカヒレスープの販売中止」を求める運動を起こしたとき、良品計画は主張に正面から反論するプレスリリースを出し、販売を継続しました。結果として、対象商品の売上はおよそ4倍になったと報じられています。声高な広告を打ったわけではなく、自社の立場を誠実に説明しただけで、それ自体がブランドを語るストーリーになった、という好例だと思います。この徹底した誠実さは、レビュー(口コミ)が持つ力を考えるときにも通じる話だと感じています。
もう一つ、米国の下着ブランドLane Bryant(Caciqueライン)が展開した「#ImNoAngel」キャンペーンも印象的です。理想化された体型のモデルを強調する競合ブランドの広告へのカウンターとして、体型もスタイルもさまざまな、いわゆる「普通の」人たちが自分の下着姿で「自分にとってのセクシー」を語る、という構成でした。飾り立てないことが、かえって強いメッセージとして記号化した事例だと感じます。
こうした事例を見ていて思い出すのが「UX成熟度モデル」という考え方です。UX専門誌で紹介されているこのモデルは、ユーザー体験の成熟段階を「使える」段階から、最終的には「喜びを与える」段階まで整理したものです。広告やマーケティング施策も同じで、最初は機能や情報を伝えるだけで精一杯でも、成熟していくにつれて、生活者に「喜び」を届けることそのものが目的になっていくのだと思います。良品計画やLane Bryantの事例は、まさにその成熟した段階を体現しているように見えます。
広告が多い市場ほど、「広告嫌い」への工夫が磨かれる
広告に触れる頻度が高い市場ほど、広告そのものへの拒否感も強くなりやすいと感じています。広告の接触量が多い国や業界を見ていると、生活者の期待値をあらかじめコントロールしたり、伝え方の文脈を丁寧に整理したりすることで、拒否感を和らげる工夫があちこちに見られます。
わかりやすさを重視しつつ、社会への貢献や環境配慮といった、飾り立てないメッセージを軸にしたコミュニケーションが、かえって効果を生むという流れも起きています。広告のテクニックが効きにくくなるほど、テクニックに頼らない誠実さのほうが相対的に強くなる。以前書いたCRMの本質は「悪い売上」を生まないことだと思う話にも通じますが、目先の数字より誠実さを優先する姿勢が、結果的に長く効いてくるのだと思います。良品計画やLane Bryantの事例も、この流れの延長線上にあるものだと捉えています。
セグメントを切って、丁寧に届ける
顧客をひとくくりにせず、認知・お試し・リピートといった段階ごとに、届けるメッセージを変えていく。これも、広告っぽさを消すための大事な工夫です。
一人ひとりに向けた個別対応は効率が悪い場面もあるので、いくつかの段階に分けて、それぞれに合った施策を積み重ねていく方が現実的だと感じています。段階ごとにメッセージを変えるだけでも、届く側からすれば「自分に向けて話しかけられている」感覚に近づき、押しつけがましい広告らしさは自然と薄れていきます。
ただ、そうやって得られた知見が、特定の担当者の頭の中にしか残らないケースも少なくありません。仕組みとして蓄積し、次に生かせる形にしておくことも、同じくらい大事だと思っています。
段階ごとの反応の違いをきちんと記録に残しておけば、次に似た施策を考えるときの土台になります。属人化させず、チームの資産として積み上げていく仕組みそのものが、実は広告っぽさを消す施策と同じくらい、地味だけれど効いてくる部分だと感じています。
2026年のいま、この視点はより重要になっている
SNSや生成AIによるコンテンツが増えた今だからこそ、広告っぽさを消したコミュニケーションの価値は、以前よりさらに増していると感じます。
広告と分かった瞬間に読み飛ばされる、という感覚は、以前より強くなっているのではないでしょうか。だからこそ、体験そのものに溶け込んだ発信が、相対的に強さを増していくのだと思います。良品計画やLane Bryantの事例が今も語り継がれているのは、その発信が「広告」としてではなく、ブランドの姿勢そのものとして生活者に受け止められたからだと思います。
生成AIで誰でも広告っぽい文章やビジュアルを量産できるようになった分、逆に「取り繕っていない本音」への感度は、生活者の側でも上がっているように感じます。作り込まれた完璧さより、多少不格好でも実感のこもった発信のほうが、結果的に信頼されやすい時代になってきているのかもしれません。
まとめ
このブログも、宣伝色をできるだけ薄めて、実体験として書くことを心がけています。良い発信ほど、発信であることを感じさせない。マーケティングの現場でも、暮らしの発信でも、根っこは同じかもしれません。
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